日本豆腐協会は、日本を代表する豆腐製造業者から成り立っている組織です。
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江戸時代から続く老舗「笹の雪」台東区根岸にある豆腐料理の店、「笹の雪」は、江戸時代から続く老舗です。初代が京から江戸に来て、店を始めたのは元禄のころ。「笹の雪の絹ごし」といえば有名ですが、江戸で初めて絹ごし豆腐を売ったのは、この店でした。 「笹の雪」という屋号は、その昔、宮様がこの店に立ち寄られたとき詠まれた歌からいただいたのだそうです。その時、宮様はあんかけ豆腐のおいしさにおかわりされたそうで、このエピソードから、笹の雪では今でも、あんかけ豆腐を2杯1組で出しています。 同じく江戸時代、両国橋の東詰に2件の淡雪豆腐屋があり、相撲見物の客でにぎわっていました。淡雪豆腐はにがりを使わずに固めた豆腐で、口の中でとろける食感が雪のようであることから、この名前がついたのです。この2軒の淡雪豆腐屋が、赤穂浪士の討ち入りで繁盛したという話が残されています。四十七士が吉良上野之介を討ち取り、芝の泉岳寺へ引き上げたとき、両国橋にはそれを見ようと野次馬が集まりました。その野次馬たちに、淡雪豆腐が飛ぶように売れたということです。 豆腐の田楽も江戸の庶民に親しまれた味です。江戸の田楽は串を刺した長方形の豆腐を焼き、赤みそをつけていただきます。今の荒川区南千住にある真崎稲荷の境内に、8軒並んで田楽茶屋がありました。このなかの「甲子屋」という店が評判で、『南総里見八犬伝』で有名な戯作者、滝沢馬琴もこの店の田楽をひいきにしていたようです。 遊郭のあった吉原には、名物ともなっていた山屋という豆腐屋がありました。柔らかい豆腐は、歯の悪くなった老人にも好まれていたことから、山屋豆腐は遊郭に通う老人を冷やかす、格好の材料となっていたようです。ちなみに前述の笹の雪も吉原に近かったので、遊里帰りの客も多かったようです。 |