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江戸時代の初期、農民たちは特別の日にしか豆腐を食べられなかった

江戸時代の中ごろに日本人の生活に根づいた豆腐ですが、江戸初期のころには、まだ特別の日の食べ物でした。特に農民にとっては非常にぜいたく品で、いつでも食べられるわけにはいかなかったようです。

「ハレの日」

農村では、祭りやお盆、お正月、あるいは冠婚葬祭などの特別の日にだけ豆腐料理が出されていました。こうした日を「ハレの日」といいます。「晴れ着」や「晴れ舞台」というときの「晴れ」と同じです。今日の赤飯のように、改まった日に食する食べ物が豆腐だったのです。

このハレの日に対して普通の日を「ケの日」といいます。普段の食事ではどんなものを食べていたのかといえば、みそ汁や漬物、金山時みそと言ったものに限られていました。こうした質素な食卓が日常だった江戸初期の農民たちです。

それがハレの日になると、豆腐のほかに油揚げやこんにゃく、がんもどき、しいたけ、ごぼうなどが食卓にのぼったのです。また、米や酒をいただけるのも、このハレの日ならではでした。

徳川家康と、その子の秀忠の時代には村々ではうどんやそばとともに、豆腐の製造も行ってはならず、農民がそれらを食べることも許されない禁令が出されていたほどです。

三代将軍・家光のときに出された「慶安御触書」には豆腐はぜいたく品として、農民に製造することをハッキリと禁じています。 その家光の朝食には、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、昼の膳にも擬似豆腐(豆腐をいったんくずして加工したもの)などが出されていたのが、資料からもうかがえます。

この豆腐がようやく庶民の食卓に普段の日でものぼるようになったのは、江戸時代の中ごろから。それも江戸や京都、大阪などの大都市に限られていたのが実情でした。

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